はじめまして、Akiと申します。
当サイトに来ていただきありがとうございます。
私は衰退産業に勤めている既婚の30代男性会社員です。
ここ数年で会社の決算は連続赤字、人の退職が多く、 給与規定の変化、
資産の売却などしており恐らく倒産への道に進んでいると思われます、、、
そのため、将来の収入への不安から 会社に依存せず、
経済的自立が可能なスキルを身につけて稼ぎを得たいと思っておりました。
自力で稼ぐことができるスキルを色々探しているなか、 入会していたオンラインサロンが
キッカケで、 Webマーケティングを学んでビジネスをしようと決意しました。
目標は
・1年後に在宅ワークで月30万円以上の稼ぎ、脱サラの選択肢を掴む。
・3年後には月収100万以上を稼ぎ将来の生活や介護の心配をさせない生活を
家族に届ける。
なぜ私がこのような考えに至ったか、
これまでの人生や経験をお伝えして、ご説明させていただけたらと思います。
プロフィール
名前:Aki
性別:男
職業:会社員
年齢: 30代後半
好きな食べ物: 刺身、サラダ、しょうゆラーメン
趣味:YouTube視聴(ネコ動画など)
好きな映画:20世紀少年
好きな色:グレー
家庭の不和が辛くても、祖母と叔父からの暖かさが励みになりました
私はごく一般的な家庭で生まれました。
サラリーマンの父、家庭的な母、年が離れた明るい妹。
ごく一般的な家庭で友達も多く、小学校低学年までは 楽しく過ごした記憶があります。
小学校の頃から、父の借金が原因で両親の喧嘩が多くなりました。
そんな環境の中でも辛い思いをしていた母は家事をしながら、
私と妹の面倒を献身的に見てくれました。
夏休みや長期連休には母方の祖母と独身の叔父が住んでいる
遠くの田舎まで遊びに行ってました。
2人は一緒に農業をしており、 朝は6時に起きて暗くなるまで仕事で
忙しかったはずですが、 そんな忙しい中でも
祖母と叔父は私が田舎にきたらとても可愛がってくれて、
喜ぶことをたくさんしてくれました。
私は車に乗るのが好きだったので、
農業でとても忙しい叔父が私と妹を車に乗せ遠方までドライブをし、
遊園地やショッピングセンターなど、いろんな場所に連れて行ってくれました。
それがとても嬉しかった記憶があります。
祖母と叔父からの愛情をとても感じていたので、
大学生まで田舎には年3回は顔を見せに行くぐらい私も2人のことを愛してました。
つらい家庭環境の中でしたが、祖母・叔父の暖かさが心の支えとなっていました。
恩を返せないまま祖母と叔父との別れ
大学生の頃、父はろくに働いていませんでしたが、
それでも大学は無事卒業し社会人になりました。
私立大学なので学費も高く、どこからお金を捻出しているのか疑問に思っていました。
社会人になってから知るのですが、
田舎の祖母・叔父が稼いだお金が私の学費や父の借金の肩代わりをしてくれていたのです。
私は祖母の農業を手伝ったことがあり、
自然を相手に仕事をすることの大変さを経験していました。
夏は暑くて冬は寒い過酷な環境で、
朝から陽が落ちるまで汗を流して働いて稼いだお金です。
農業であんなに苦労して手に入れたお金が父親のため、
そして私の学費のために使われていてことを知った時、
何も知らなかった私は感謝よりも祖母・叔父への申し訳なさで胸が張り裂けそうでした。
祖母と叔父の援助がなければ、私は大学にも行けず、
おそらく心が捻くれてロクな仕事にも就けず、別の人生を歩んでいたと思います。
人生の恩人である「祖母と叔父に恩返しをする!」と決心しました。
数年経ち社会人生活に慣れて、結婚もして、これから恩返しをしようと思ってた矢先に
祖母・叔父が亡くなりました。
叔父は兄妹である私の母と叔母(母の姉)を大切にしていました。
私もその意思を継ぎ叔父の代わりに母と叔母の生活や老後の面倒見ることで、
祖母・叔父に対して出来なかった恩返しをしようと決意しました。
スキルを身につければ、仕事の選択肢ができて心の余裕もできる!
新社会人では物流関係の仕事で現場作業をしており、
体力的にはつらい職場でしたが順調でした。
私は仕事にも慣れて、仕事が簡単な現場作業から現場管理側になりました。
現場作業では年齢が40代後半や50代の正社員の作業員が多く、
性格にクセのある方が多くいました。
ほとんどの人が仕事や会社に対する不平不満を多く言っていました。
「何でこんなにしんどい事を、俺たち年寄りににさせる?」
「早く俺の家(マイホーム)がある、◯◯県に転勤させろ、戻らせてくれ!」などなど。
その人達は不平不満を言い続けて自分の環境を恨んでいましたが、
ずっと同じ場所で働き続けていました。
私は「仕事や勤務地を変えたければ、転職すればいいのに」とずっと思っていました。
それを選択しない理由聞いてみました。
「ずっと簡単な作業をやっていたのでパソコンが使えない」
「専門性のある知識やスキルがない」
「他の会社に転職しても大幅に年収が落ちる」など、
専門性のあるスキルを身につけていないから、転職する選択肢がなく
今の場所に残り会社にしがみつくしかない状況であると。
私もこのままこの仕事を続けていたら、
「専門性の高い知識や資格がないと心の余裕や仕事の選択肢がなくなる」 と思い
危機感を感じました。
専門性が高くて資格も取得もできて、その資格が活かせる仕事に就きたいと決心し、
他業種へ転職することになりました。
この時から親族への恩返しへの思いはありましたが、
自分の将来のことで頭がいっぱいになっていました。
会社で働くことへの不信感が募る
転職先では専門性があり覚えることが多く、
やりがいのある日々を過ごしていましたが、会社の合併によりメインの業種が変わり、
私がやりがいを感じていた仕事が減って、給与面の改定もされて収入も下がり、
再び転職をすることにしました。
再転職先では「5年は転勤がない、転勤があっても隣の県」 という約束でしたが、
約1年後に遠方への転勤を言い渡されたので、
転勤の取り消しを交渉しましたが辞令は変わりませんでした。
妻は仕事をしており、仕事にやりがいを感じているのを知っていました。
私と一緒に転勤先に移動した場合、その仕事は続けられなくなり、
会社への不信感もありましたので転職を決めました。
何度も転職をしている私に対して、
妻は不満を口にすることなくいつも支えとなってくれました。
数回の転職経験から感じたことは
「サラリーマンは会社に依存するものなんだな」
「会社に依存せず自分で稼げるスキルを身に着けたほうがいい」
と気づきはじめました。
会社に依存しない経済的自立への芽生え
再々転職先は望んだ仕事に携われ、
人間関係も問題なく充実した日々でした。
しかし、会社の赤字が数年続き、給与規定が変わったり、
資産売却など数年で倒産すると言われる状態になりました。
私は家族には将来の不安がなく、いまを楽しんで過ごしてほしいと思っています。
しかし、何をするのにもお金が必要で、今の状態だとその将来を手に入れるための
収入源が不安になり、 同時にこれまでの転職経験でサラリーマンに限界を感じました。
「会社の経営状況(雇用)や方針(転勤)に左右されない働き方をしたい」
「会社に依存せず、自力で稼いで生きていけるスキルを取得したい」
「共働きなので家事や育児に使える時間も確保したい」
と思い、入会していたオンラインサロンがキッカケで
Webマーケティングをスクールで学ぶことを決めました。
私はWeb知識がゼロなのでWebマーケティングのことは全くの素人です。
しかし、今の状況では親族への恩返しどころか妻との生活すら安定せず
不安な日々を過ごすことに対する焦りと危機感から、
スクールに入り学ぶことを決断しました。
最後に
これまで祖母・叔父に支えられて、
学業に専念でき社会人として今の人生を歩めています。
本当に感謝しており、残った親族に「これまでの恩返しをする!」と決めております。
しかし、現状では数年後に倒産すると言われている
衰退産業の会社に勤めており、まずはその不安定な状態から脱出し
安定した収入を確保しなければなりません。
また、これまで転職を繰り返した経緯から
自力で稼げる力を取得し、会社に依存せず収入を得たいと思っています。
どのような時代や家族の状況(介護で時間の確保が必要)になっても対応できる、
ビジネススキルを手に入れたいと思っています。
そんな思いからWebマーケティングの全てが学べるスクールに入りました。
Web知識ゼロの私がこれから1年間で学び、将来安定した収入を手に入れて
1年後には在宅で月30万円以上を稼ぎ脱サラの選択肢を掴めるか
3年後に月収100万以上を稼ぎ将来の生活や介護の心配をさせない生活を家族に届けられるか
これらを叶えることができるか。
このブログでその過程と結果を見ていただけたらと思います。
成長過程を記録に残し、
「サラリーマンに限界を感じている」「会社に依存したくない」
「自力で稼げるスキルが欲しい」「家族と過ごす時間・将来の資金も欲しい」
と考えて悩んでいる、同じ境遇や思いの方に対して、
役に立つ発信ができればと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。